還空論
HP「SECRET GAME」の付属ブログです。日記や小説。
ただしここでの小説には、あまり計画性がありません; HPの小説の番外編もあります。
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俺たちが到着すると、城門周辺に大人数の兵士のような格好をした男たちがいた。
死体も転がっている。そしてそんな生々しい戦闘の跡よりも目を引く炎。
10年ぶりに見た、俺が育った皇宮が、ゆっくりと崩れていく。
「燐!」
声が聞こえた。ふと有象無象の男たちは烟梓の者たちだということに気づく。
やはり詩紀が来ていたのだ。
俺は詩紀と愬の姿を探した。城門のすぐ傍にそれらしき人物を見かける。近くに結構な人数を紐で縛り上げて座らせているが、そいつらは捕虜だろうか。
「叔父上、こちらに」
庚を連れて詩紀の方へと向かった。
男たちのほとんどが俺たちを遠巻きに見て、俺たちが進もうとする道を塞ぐ者はいない。
「詩紀」
声をかけて俺は馬を降りた。隣に翏もいて内心ほっとする。
詩紀は俺を振り返り、すぐに視線を庚に移した。
「庚様、ですね」
庚も馬から降りて落ち着いた声で問う。
「この惨状はお前が?」
「火をつけた一派はここにこうして捕らえて――」
「今だ!!」
縛られている1人が突然大声を張り上げた。
何だ……?
ふと目に入った、俺に向けられた弓矢。
「お兄様っ!」
悲鳴のようなこの声は、翏だ。
景色が、遅い。
「綸!」
目の前が真っ暗になった。
すぐにそれは自分の目の前に大きな背中が現れたからだということを知る。
その背中はずるずると力なくそこに倒れ伏した。
「お……叔父上!」
庚は甲冑を着ていたが、ちょうど薄い左腕の部分に矢が刺さってしまっていた。
「ははははっ」
笑い声がする。
「矢には毒が塗ってある! 死は確定だ!」
「毒……?」
しかし庚はぐっと力を入れて体を起こした。
「問題ない……」
「叔父上、無理に動いちゃ――」
「動かすな!」
詩紀が叫んだ。
「動くと毒が速く回る! 燐! しっかり庚様の体を押さえつけろ! ゆっくりと寝かせるんだ! そして誰か矢を放った奴を捕らえろ!」
詩紀は指示を出しながらも駆け寄って来て、力づくで甲冑を剥がそうとした。
「外れない……! どうやって外すんだこれは!」
「待て、手順がある。力づくは難しい、俺がやる」
俺はすぐに甲冑を脱がせた。
よく見てみると矢は深く刺さっていない。甲冑を外すと同時に矢も自然に外れた。
問題は毒だ。詩紀はすぐに自分の服を破いて庚の左肩をきつく縛った。そしてナイフで矢による傷口周辺を切って血を流させる。
「ある程度流したらすぐに止血だ。でないと庚様は今度は血が足りなくて死ぬよ。できる? 燐」
「できる。毒はもう大丈夫ってことか?」
「残念ながら保障はできないよ。あいつらがどんな毒使ったのかも分からないし、もう、手遅れかもしれない」
俺は庚を見た。顔色が悪い。
でもまだ意識はある。
まだ、生きている。
「死ぬな……」
俺は呟いた。
「死なないでくれ……」
あんたは、この国に必要な人なんだ。
「綸……」
「黙って喋らないで――」
「庚様……?」
心臓が揺れた。
この声は……!
「庚様!」
声がした方を見ると、炎の中から、ぼろぼろになった姿で斎が出て来ていた。その体を支えているのは愬だ。斎はふらふらになりながら庚に駆け寄ろうとするも、途中で俺に気付いて立ち止まった。
「綸様……!」
「斎、叔父上が」
「綸様なんですね!」
「え?」
「綸様が庚様を殺して下さったんですね!」
思考が停止する。
なんだ?
何を言ってるんだ、斎は。
「馬鹿言うな! それに叔父上はまだ死ん――」
ぐっと自分の右腕に力を感じた。庚が俺の右腕を掴んでいて、訴えるように俺を見ている。
「やはり私は間違ってはいなかった!」
斎の声が、心に重い。
「綸様なら庚様を殺して下さると思っていた!」
どういうことなのか訳が分からない。
「綸様なら庚様を幸せにして下さると……!」
斎の言葉の意味が分からない。
なんだ。
なんなんだ。
あれは本当に斎か?
だから斎は10年前、俺を生かしたと?
殺す? 幸せ? どういうことだ?
斎は父上と叔父上の友人だ。いつも3人、穏やかに笑い合っていた。
なのに斎は叔父上の死を望んでいた?
「病、なんだ……」
庚が小さな声で言った。
「斎は、どういうわけか、死こそ幸福と信じて、それ故に、故郷でも大罪を犯し、この国に流れてきた……。でもそのことを、普段の斎は、全く覚えていないんだ」
だんだんと小さくなっていく声が、俺は悲しかった。
「今も、正気を失って……可哀想に、私は、友として、あいつを、助けたかった……! 生きる意味を、あいつに分かってもらいたくて、でも」
兄が好きだった。
憧れていた。
優佳を奪われた時も私は許せた。寧ろ兄が優佳を愛していたことを知っていたから、奪うよう仕向けたのは私だ。
それくらい兄のことが好きで、民に愛される兄を尊敬していた。
それでも兄は間違っていた。
何より対外政策に無関心。
このままでは兄の愛する民が、兄を愛する民が、滅びてしまうことは分かっていた。
すみません、兄上。
私は貴方の大切なものを奪います。
代わりに約束致しましょう。
貴方は死んでからもずっと、未来永劫、この国の民に愛されると。
だからお願いです。
斎は貴方と共に行かせられません。
友は私に下さい。
嘘を吐いた。
『お前の望む国を作る』と。
そしてあいつに兄を裏切らせた。
だってあいつは何も知らない。
生きるより死んだ方がましだと思っている。
そんなことは許せなかった。
兄のために犠牲になった民が、これから滅びるかもしれない民が、私に殺された兄が、そうなって良かったなどという考えが許せない。
賭けをした、自分の中で。
いつかこの日が来るまで――いつか綸が私を攻めてくる日が来るまでに、私が斎の心を変えることができなかったなら、私は斎を殺そうと。
斎を殺し、国を綸に渡し、そして自分の身も滅ぼそうと。
「でも、できなかった……! あいつの心は、救われぬまま、変えられない! だったらせめてあいつの望む、幸福の形を、あいつに与えたい! しかしそれももう、私にはできそうにない……」
その目が言っている。
代わりに叶えてくれないか? と。
つまり俺に斎を殺せと。
でも今はそんなことはどうでもいいんだ。
今目の前にいる斎は初めて見た。つまりこれが正気を失っている状態だというのなら、斎はこのことなんて覚えていないんだ。
それってあんまりじゃないか。
斎。
庚は……叔父上は、今、死のうとしているんだぞ。
分かっているのか。
お前の友人が、死のうとしているんだ!
死が幸福?
今はそんな考えなんてどうでもいい!
一生の別れだ!
もう会えないんだ!
「分かってるんだろう、斎……本当は」
涙が出た。
「戻ってくれよ……」
多くの時間を、父上と叔父上と過ごした、そんな斎に戻ってくれよ。
「斎!」
戻れ、戻れ。
戻ってくれ、頼むから。
「感謝します、綸様!」
戻れ戻れ戻れ。
「庚様も、これで――」
「戻れよ斎!!」
しんと静まり返った。
長い沈黙。
気がつけば庚は気を失っている。詩紀は黙って庚の傷を止血していた。
「…………で下さい……」
「斎……?」
「死なないで下さい、庚様!」
斎は庚の体の傍まで駆け寄り、座りこんで、その手を握る。
「誰も、誰も! 幸せになどならなかったのです……! 分かっています! 私は分かっているのです! 死なないで下さい! 1人にしないで下さい!」
紅雪軍の撤退を告げる鐘と笛が、戦場から聞こえてきていた。
後日、皇帝には翏が就任した。
死んだことになっていた俺よりもいいだろうと俺は辞退したのだ。しかし何分、翏は世間知らず。勿論本人に責任はない。軟禁されて育ったのだから当り前だ。俺は陰で翏を援護することになった。
紅雪軍撤退は詩紀の仕業らしい。
撤退の報を告げられたとき、詩紀は「間に合ってよかった」とほっとしていた。
詩紀と董孤で手を組んで紅雪王に根回しをしたのだとか。
『未開の地にね、いい鉱脈を見つけて。そこは黄凱よりも近い場所にあるんだから、その情報と引き換えに黄凱を見逃してくれってね。お願いしたんだ、熱心にね。もし見逃してくれないのであればライバル国にこの情報渡しますって。後はそうだね、紅雪王には2人の娘がいて、どちらも他国に嫁いでるんだけど、その2人が起こした不祥事だとかを――』
……そんな話を聞いたのはもっと後日になってからだった。
大国の王がよくも一般人たった1人の言うことに耳を貸したな、と思ったが、どうやら詩紀はそれらのことを黄凱からの正式な文書として出したらしい。自身も外交大臣を名乗って。
『家が潰されたときに咄嗟に持ち出した家印を使ったんだ。これ、本物の貴族の家印ではあったから、信用してくれたみたいだね』
そんなことも言っていた。
「俺あいつ怖いなぁ……」
見晴らしのいい高台に座りこんで俺は独り言を呟いた。
「詩紀とか、董狐とか、得体が知れなくてどうも……」
紅雪の軍人だった董狐は辞めて黄凱に残った。この国が気に入ったからと言っていた。
「だがそんなお前の友人に、私は感謝せねばなるまい?」
背後に庚が立っていた。
「もう出歩いて大丈夫?」
「ここで待ち合わせようと言ったのはお前ではないか」
「そうだけど」
俺の足元には墓石がある。『親愛なる兄上』と刻まれているそれは、父上の墓だ。
勿論正式な墓は皇族の墓地にある。これは庚が作ったものだ。
「まさかこんなところに墓があるなんて」
「国が一望できるここが、兄上にふさわしい場所だと思ったからだ」
墓に埋まっているのは父上の首だ。
さらされていたはずのその首は家臣の誰かが持ち去ったと噂になっていたが、さらした本人である庚がこっそりとここに埋めていたのだ。
「罪人のように首をさらされて、自分でしたこととはいえ耐えられなかったからな」
「今でも覚えているよ、父上が死んだ瞬間を」
「ああ、私も覚えている」
「父上が死んだのは叔父上だけの所為じゃない。皇族全ての罪だ。無知だった俺も含めて、ね。だから俺はもう叔父上を恨まない」
「それを言うために呼び出したのか?」
「ああ、それと、斎どうしてる?」
「元気だよ。とても大人しいが」
庚と斎は完全に表から消えた。山の中でひっそりと暮らしている。
「詩紀と愬がよく訪ねてくる」
「へえ。詩紀は叔父上を師匠とか言ってたから分かるけど。外交術を学ぶんだって。愬は意外だったな。もっと、顔を見たくないくらいに恨んでいるんだと」
「城が炎に包まれた中で見捨てることができなかった。だから実は大して恨んでないのかもって本人は言っていたがな。愬が恨んでいようと恨んでいまいと斎の罪は重い。一生山小屋から出ずにいると言っていたから、会いたければお前が来ることだ」
「そういえばゴタゴタして遅れていた母上の葬儀が明日あるんだけど、叔父上は」
「行けるはずがないだろう」
「だよね。……でも叔父上は母上のこと」
「安心しろ。別れは済ませてある」
「じゃあ、これ」
俺は懐から取り出した物を庚に差し出した。
「これは優佳の髪かざりか?」
「母上の形見。叔父上に持ってもらっていた方が、母上も喜ぶと思う。母上は叔父上ばかり目で追っていたから」
「お前、知って――」
「何を?」
俺は立ち上がり、庚に笑顔を向けた。
「俺の父親はただ1人、灯央様だけだ」
「…………ああ、そうだよ。その通りだ」
俺はもう1度笑いかけ、背伸びをした。
「さて、まだまだ忙しいな。城の復旧に政治体制の立て直し、母上の葬儀の準備に、皇帝が交代したことによる外交問題、更に烟梓の民を受け入れることに関する外交問題もある。紅雪が本当に諦めてくれたのかも怪しいし、まあ、紅雪軍が撤退してくれたおかげで、周辺諸国へはいい牽制になったけれど」
「まったくだ。ここで油を売っている暇は無いな。ほら、皆お前を呼んでいる」
庚を指差した方を見ると、仲間たちが俺に手を振っていた。
「じゃあ行くよ。叔父上、俺は約束する。この黄凱を夢のような国にすると」
夢のような、国があった。
人々はいつでも笑い合い、飢えに苦しむこともない。
東の果てに位置する帝国、黄凱。
誰よりも国のために尽力した男の名は、悪王としてこれからも残っていくのだろう。
しかし彼のおかげで黄凱が黄凱たりえるということは、語り継がれることもない。
「期待しているよ、綸」
優しい男のその声は、空へ溶け込むように消えて行った。
~END~
死体も転がっている。そしてそんな生々しい戦闘の跡よりも目を引く炎。
10年ぶりに見た、俺が育った皇宮が、ゆっくりと崩れていく。
「燐!」
声が聞こえた。ふと有象無象の男たちは烟梓の者たちだということに気づく。
やはり詩紀が来ていたのだ。
俺は詩紀と愬の姿を探した。城門のすぐ傍にそれらしき人物を見かける。近くに結構な人数を紐で縛り上げて座らせているが、そいつらは捕虜だろうか。
「叔父上、こちらに」
庚を連れて詩紀の方へと向かった。
男たちのほとんどが俺たちを遠巻きに見て、俺たちが進もうとする道を塞ぐ者はいない。
「詩紀」
声をかけて俺は馬を降りた。隣に翏もいて内心ほっとする。
詩紀は俺を振り返り、すぐに視線を庚に移した。
「庚様、ですね」
庚も馬から降りて落ち着いた声で問う。
「この惨状はお前が?」
「火をつけた一派はここにこうして捕らえて――」
「今だ!!」
縛られている1人が突然大声を張り上げた。
何だ……?
ふと目に入った、俺に向けられた弓矢。
「お兄様っ!」
悲鳴のようなこの声は、翏だ。
景色が、遅い。
「綸!」
目の前が真っ暗になった。
すぐにそれは自分の目の前に大きな背中が現れたからだということを知る。
その背中はずるずると力なくそこに倒れ伏した。
「お……叔父上!」
庚は甲冑を着ていたが、ちょうど薄い左腕の部分に矢が刺さってしまっていた。
「ははははっ」
笑い声がする。
「矢には毒が塗ってある! 死は確定だ!」
「毒……?」
しかし庚はぐっと力を入れて体を起こした。
「問題ない……」
「叔父上、無理に動いちゃ――」
「動かすな!」
詩紀が叫んだ。
「動くと毒が速く回る! 燐! しっかり庚様の体を押さえつけろ! ゆっくりと寝かせるんだ! そして誰か矢を放った奴を捕らえろ!」
詩紀は指示を出しながらも駆け寄って来て、力づくで甲冑を剥がそうとした。
「外れない……! どうやって外すんだこれは!」
「待て、手順がある。力づくは難しい、俺がやる」
俺はすぐに甲冑を脱がせた。
よく見てみると矢は深く刺さっていない。甲冑を外すと同時に矢も自然に外れた。
問題は毒だ。詩紀はすぐに自分の服を破いて庚の左肩をきつく縛った。そしてナイフで矢による傷口周辺を切って血を流させる。
「ある程度流したらすぐに止血だ。でないと庚様は今度は血が足りなくて死ぬよ。できる? 燐」
「できる。毒はもう大丈夫ってことか?」
「残念ながら保障はできないよ。あいつらがどんな毒使ったのかも分からないし、もう、手遅れかもしれない」
俺は庚を見た。顔色が悪い。
でもまだ意識はある。
まだ、生きている。
「死ぬな……」
俺は呟いた。
「死なないでくれ……」
あんたは、この国に必要な人なんだ。
「綸……」
「黙って喋らないで――」
「庚様……?」
心臓が揺れた。
この声は……!
「庚様!」
声がした方を見ると、炎の中から、ぼろぼろになった姿で斎が出て来ていた。その体を支えているのは愬だ。斎はふらふらになりながら庚に駆け寄ろうとするも、途中で俺に気付いて立ち止まった。
「綸様……!」
「斎、叔父上が」
「綸様なんですね!」
「え?」
「綸様が庚様を殺して下さったんですね!」
思考が停止する。
なんだ?
何を言ってるんだ、斎は。
「馬鹿言うな! それに叔父上はまだ死ん――」
ぐっと自分の右腕に力を感じた。庚が俺の右腕を掴んでいて、訴えるように俺を見ている。
「やはり私は間違ってはいなかった!」
斎の声が、心に重い。
「綸様なら庚様を殺して下さると思っていた!」
どういうことなのか訳が分からない。
「綸様なら庚様を幸せにして下さると……!」
斎の言葉の意味が分からない。
なんだ。
なんなんだ。
あれは本当に斎か?
だから斎は10年前、俺を生かしたと?
殺す? 幸せ? どういうことだ?
斎は父上と叔父上の友人だ。いつも3人、穏やかに笑い合っていた。
なのに斎は叔父上の死を望んでいた?
「病、なんだ……」
庚が小さな声で言った。
「斎は、どういうわけか、死こそ幸福と信じて、それ故に、故郷でも大罪を犯し、この国に流れてきた……。でもそのことを、普段の斎は、全く覚えていないんだ」
だんだんと小さくなっていく声が、俺は悲しかった。
「今も、正気を失って……可哀想に、私は、友として、あいつを、助けたかった……! 生きる意味を、あいつに分かってもらいたくて、でも」
兄が好きだった。
憧れていた。
優佳を奪われた時も私は許せた。寧ろ兄が優佳を愛していたことを知っていたから、奪うよう仕向けたのは私だ。
それくらい兄のことが好きで、民に愛される兄を尊敬していた。
それでも兄は間違っていた。
何より対外政策に無関心。
このままでは兄の愛する民が、兄を愛する民が、滅びてしまうことは分かっていた。
すみません、兄上。
私は貴方の大切なものを奪います。
代わりに約束致しましょう。
貴方は死んでからもずっと、未来永劫、この国の民に愛されると。
だからお願いです。
斎は貴方と共に行かせられません。
友は私に下さい。
嘘を吐いた。
『お前の望む国を作る』と。
そしてあいつに兄を裏切らせた。
だってあいつは何も知らない。
生きるより死んだ方がましだと思っている。
そんなことは許せなかった。
兄のために犠牲になった民が、これから滅びるかもしれない民が、私に殺された兄が、そうなって良かったなどという考えが許せない。
賭けをした、自分の中で。
いつかこの日が来るまで――いつか綸が私を攻めてくる日が来るまでに、私が斎の心を変えることができなかったなら、私は斎を殺そうと。
斎を殺し、国を綸に渡し、そして自分の身も滅ぼそうと。
「でも、できなかった……! あいつの心は、救われぬまま、変えられない! だったらせめてあいつの望む、幸福の形を、あいつに与えたい! しかしそれももう、私にはできそうにない……」
その目が言っている。
代わりに叶えてくれないか? と。
つまり俺に斎を殺せと。
でも今はそんなことはどうでもいいんだ。
今目の前にいる斎は初めて見た。つまりこれが正気を失っている状態だというのなら、斎はこのことなんて覚えていないんだ。
それってあんまりじゃないか。
斎。
庚は……叔父上は、今、死のうとしているんだぞ。
分かっているのか。
お前の友人が、死のうとしているんだ!
死が幸福?
今はそんな考えなんてどうでもいい!
一生の別れだ!
もう会えないんだ!
「分かってるんだろう、斎……本当は」
涙が出た。
「戻ってくれよ……」
多くの時間を、父上と叔父上と過ごした、そんな斎に戻ってくれよ。
「斎!」
戻れ、戻れ。
戻ってくれ、頼むから。
「感謝します、綸様!」
戻れ戻れ戻れ。
「庚様も、これで――」
「戻れよ斎!!」
しんと静まり返った。
長い沈黙。
気がつけば庚は気を失っている。詩紀は黙って庚の傷を止血していた。
「…………で下さい……」
「斎……?」
「死なないで下さい、庚様!」
斎は庚の体の傍まで駆け寄り、座りこんで、その手を握る。
「誰も、誰も! 幸せになどならなかったのです……! 分かっています! 私は分かっているのです! 死なないで下さい! 1人にしないで下さい!」
紅雪軍の撤退を告げる鐘と笛が、戦場から聞こえてきていた。
後日、皇帝には翏が就任した。
死んだことになっていた俺よりもいいだろうと俺は辞退したのだ。しかし何分、翏は世間知らず。勿論本人に責任はない。軟禁されて育ったのだから当り前だ。俺は陰で翏を援護することになった。
紅雪軍撤退は詩紀の仕業らしい。
撤退の報を告げられたとき、詩紀は「間に合ってよかった」とほっとしていた。
詩紀と董孤で手を組んで紅雪王に根回しをしたのだとか。
『未開の地にね、いい鉱脈を見つけて。そこは黄凱よりも近い場所にあるんだから、その情報と引き換えに黄凱を見逃してくれってね。お願いしたんだ、熱心にね。もし見逃してくれないのであればライバル国にこの情報渡しますって。後はそうだね、紅雪王には2人の娘がいて、どちらも他国に嫁いでるんだけど、その2人が起こした不祥事だとかを――』
……そんな話を聞いたのはもっと後日になってからだった。
大国の王がよくも一般人たった1人の言うことに耳を貸したな、と思ったが、どうやら詩紀はそれらのことを黄凱からの正式な文書として出したらしい。自身も外交大臣を名乗って。
『家が潰されたときに咄嗟に持ち出した家印を使ったんだ。これ、本物の貴族の家印ではあったから、信用してくれたみたいだね』
そんなことも言っていた。
「俺あいつ怖いなぁ……」
見晴らしのいい高台に座りこんで俺は独り言を呟いた。
「詩紀とか、董狐とか、得体が知れなくてどうも……」
紅雪の軍人だった董狐は辞めて黄凱に残った。この国が気に入ったからと言っていた。
「だがそんなお前の友人に、私は感謝せねばなるまい?」
背後に庚が立っていた。
「もう出歩いて大丈夫?」
「ここで待ち合わせようと言ったのはお前ではないか」
「そうだけど」
俺の足元には墓石がある。『親愛なる兄上』と刻まれているそれは、父上の墓だ。
勿論正式な墓は皇族の墓地にある。これは庚が作ったものだ。
「まさかこんなところに墓があるなんて」
「国が一望できるここが、兄上にふさわしい場所だと思ったからだ」
墓に埋まっているのは父上の首だ。
さらされていたはずのその首は家臣の誰かが持ち去ったと噂になっていたが、さらした本人である庚がこっそりとここに埋めていたのだ。
「罪人のように首をさらされて、自分でしたこととはいえ耐えられなかったからな」
「今でも覚えているよ、父上が死んだ瞬間を」
「ああ、私も覚えている」
「父上が死んだのは叔父上だけの所為じゃない。皇族全ての罪だ。無知だった俺も含めて、ね。だから俺はもう叔父上を恨まない」
「それを言うために呼び出したのか?」
「ああ、それと、斎どうしてる?」
「元気だよ。とても大人しいが」
庚と斎は完全に表から消えた。山の中でひっそりと暮らしている。
「詩紀と愬がよく訪ねてくる」
「へえ。詩紀は叔父上を師匠とか言ってたから分かるけど。外交術を学ぶんだって。愬は意外だったな。もっと、顔を見たくないくらいに恨んでいるんだと」
「城が炎に包まれた中で見捨てることができなかった。だから実は大して恨んでないのかもって本人は言っていたがな。愬が恨んでいようと恨んでいまいと斎の罪は重い。一生山小屋から出ずにいると言っていたから、会いたければお前が来ることだ」
「そういえばゴタゴタして遅れていた母上の葬儀が明日あるんだけど、叔父上は」
「行けるはずがないだろう」
「だよね。……でも叔父上は母上のこと」
「安心しろ。別れは済ませてある」
「じゃあ、これ」
俺は懐から取り出した物を庚に差し出した。
「これは優佳の髪かざりか?」
「母上の形見。叔父上に持ってもらっていた方が、母上も喜ぶと思う。母上は叔父上ばかり目で追っていたから」
「お前、知って――」
「何を?」
俺は立ち上がり、庚に笑顔を向けた。
「俺の父親はただ1人、灯央様だけだ」
「…………ああ、そうだよ。その通りだ」
俺はもう1度笑いかけ、背伸びをした。
「さて、まだまだ忙しいな。城の復旧に政治体制の立て直し、母上の葬儀の準備に、皇帝が交代したことによる外交問題、更に烟梓の民を受け入れることに関する外交問題もある。紅雪が本当に諦めてくれたのかも怪しいし、まあ、紅雪軍が撤退してくれたおかげで、周辺諸国へはいい牽制になったけれど」
「まったくだ。ここで油を売っている暇は無いな。ほら、皆お前を呼んでいる」
庚を指差した方を見ると、仲間たちが俺に手を振っていた。
「じゃあ行くよ。叔父上、俺は約束する。この黄凱を夢のような国にすると」
夢のような、国があった。
人々はいつでも笑い合い、飢えに苦しむこともない。
東の果てに位置する帝国、黄凱。
誰よりも国のために尽力した男の名は、悪王としてこれからも残っていくのだろう。
しかし彼のおかげで黄凱が黄凱たりえるということは、語り継がれることもない。
「期待しているよ、綸」
優しい男のその声は、空へ溶け込むように消えて行った。
~END~
「誰だ!」
詩紀の怒声が響く。
「火をつけたのは誰だ!!」
あの中にはまだ、愬がいる……!
宮殿から敵も味方も入り乱れ、ただ炎から逃げるために人々が波を作っていた。
その中に愬の姿を見つけることができない。
ふと宮殿の傍に翏が留まっているのを発見し、詩紀は駆け足で近付いた。
「離れた方がいいよ。火の回りが早い」
「でも……っ」
「来るから。あいつはちゃんと無事で出てくるはずだから」
火薬の匂いがする。それに油の匂いも。異様なほど速い火の回り方から、これが事故ではなく誰かが仕掛けたものだということは明白。
「翏様! どうか安全なところへ!」
やって来た節里を詩紀は睨みつけた。
「随分と避難が早いな。城の中にいたはずなのに。これはお前の仕業か?」
節里は詩紀の鋭い目に気圧されそうになるも、負けじと強気な口調で返す。
「それが?」
「愚かなことをしたもんだね」
「何故? 貴様らは我々の目的をあまりに軽んじているようだからこの際もう一度はっきりと言っておく! 我々の目的は庚だ! うだうだとこの庚のいない城を攻めている場合ではない!」
「庚様も、国の中枢で象徴となるこの城も、無くせば国が滅びるよ」
「何を……?」
「詩紀!」「節里!」
2人にそれぞれの伝令が来たのは同時だった。
詩紀は伝令から話を聞いて思わず呟く。
「燐が……?」
「はは…ははは! 計画通り!」
「庚様と燐が、本隊を離れてこちらに向かっているなんて……そうか、煙に気付いて――」
「2人が上手く本営から離れた! これで」
節理が言い切る前に、詩紀は剣を抜いてその喉元に切っ先を当てた。
「庚様を殺したいんだろう。それはよく知ってる。庚様を引っ張り出したいってのもここに火を付けた理由なんだね。それで? どうやら燐も目的みたいだ」
「剣をどけ!」
「何故燐を?」
「我々は、綸様も次の皇帝として認めるわけにはいかない!」
「……ああ、確か、燐は本当は灯央様ではなく庚様の子だっていう話だったかな」
詩紀は剣を鞘に収めた。節里はその隙を狙って今度は自分が、と思ったがすぐに詩紀の周りを烟梓の仲間が囲ったので諦めた。
詩紀はため息をついて傍にいる男に言う。
「節里一派は全員捕らえろ」
俺は庚と共に無言で馬を走らせていた。
煙の立ち上るその場所へはもうすぐ到着する。
おそらくそこには革命軍がいるのだろう。初めに上がっていたのろしには見覚えがあった。詩紀のものだ。詩紀が引き連れてきたはずだ。あいつが黄凱を紅雪軍が攻めるこの好機を逃すはずがない。
火をつけたのは不可解だけれど、それは何か事故でもあったのだろうか。
不可解といえば庚の行動の方が不可解だ。
宮殿が攻められているのだという考えぐらい頭に過ったはずなのに、庚は自分以外全ての人間を戦場に置いて1人宮殿に戻ろうとした。
敵ばかりいるかもしれない場所へ1人で、一瞬たりとも迷うことなく。
まさか……!
俺は馬を止めた。不審に思って庚も止まる。
「何をしている?」
「死ぬ気ですか、叔父上」
「…………行くぞ。急ぐんだ」
やはり死ぬ気なんだ。
そうは思っても再び馬を走らせた。
死なせはしない。俺が詩紀と話をする。そうすれば庚の必要性を詩紀は分かってくれる。
そうだ、これでいいんだ。
節里一派は詩紀たち烟梓の者の手によって捕らえられた。
「離せ! 貴様ら裏切る気か!」
節理が叫ぶ。詩紀は冷ややかに答えた。
「そう取ってもらって構わないよ。人数が必要だから手を組んではみたけど、やっぱり邪魔だったみたいだ」
「我々が貴様ら卑しい者たちとわざわざ与してやったというのに!」
詩紀はため息を吐く。
「この状況を見てもそう言える? 俺たちの方が明らかに数が少ないのに、こうしてあんたたちの仲間が捕まっていく様を見ても。組んであげたのは俺たちの方。あんたたちが翏を象徴としようとしたからだ。仲間の妹君を、負け戦の将になんてさせられないからね」
「翏様!」
節里は今度は翏に視線を変えた。
「この者たちは犯罪者! 罪を犯した卑しい者! 烟梓の人間たちのことなど信用してはいけません! 現にこうして彼らは我々を裏切っている! 翏様お助け下さい! 我々こそ貴女の真の仲間!」
翏は首を振った。
「私は……今この場にいる人たちが皆、会ったばかりの人たちです。信用できるか、信用できないか、人の言葉で判断することなんてできません。でもただ1つ私が心から信じているものがあります。それはお兄様です。私はお兄様を信じています」
「はっそんなの……綸様が烟梓にいたことだってそれはこいつらの虚言かも――」
「違います! 私は確かにお会いしました! あの方がお兄様です。昔から変わらない、優しい目をした人でした。お兄様が本当は叔父上の子であるなど関係ありません。私が信じる方です。その仲間である詩紀さんや愬さんを私は信じたいのです。確かに貴方たちも信じていました。しかし貴方たちの目的の中は、お兄様を死なせることもあるのでしょう……?」
その時、近づく蹄の音が聞こえた。
詩紀の怒声が響く。
「火をつけたのは誰だ!!」
あの中にはまだ、愬がいる……!
宮殿から敵も味方も入り乱れ、ただ炎から逃げるために人々が波を作っていた。
その中に愬の姿を見つけることができない。
ふと宮殿の傍に翏が留まっているのを発見し、詩紀は駆け足で近付いた。
「離れた方がいいよ。火の回りが早い」
「でも……っ」
「来るから。あいつはちゃんと無事で出てくるはずだから」
火薬の匂いがする。それに油の匂いも。異様なほど速い火の回り方から、これが事故ではなく誰かが仕掛けたものだということは明白。
「翏様! どうか安全なところへ!」
やって来た節里を詩紀は睨みつけた。
「随分と避難が早いな。城の中にいたはずなのに。これはお前の仕業か?」
節里は詩紀の鋭い目に気圧されそうになるも、負けじと強気な口調で返す。
「それが?」
「愚かなことをしたもんだね」
「何故? 貴様らは我々の目的をあまりに軽んじているようだからこの際もう一度はっきりと言っておく! 我々の目的は庚だ! うだうだとこの庚のいない城を攻めている場合ではない!」
「庚様も、国の中枢で象徴となるこの城も、無くせば国が滅びるよ」
「何を……?」
「詩紀!」「節里!」
2人にそれぞれの伝令が来たのは同時だった。
詩紀は伝令から話を聞いて思わず呟く。
「燐が……?」
「はは…ははは! 計画通り!」
「庚様と燐が、本隊を離れてこちらに向かっているなんて……そうか、煙に気付いて――」
「2人が上手く本営から離れた! これで」
節理が言い切る前に、詩紀は剣を抜いてその喉元に切っ先を当てた。
「庚様を殺したいんだろう。それはよく知ってる。庚様を引っ張り出したいってのもここに火を付けた理由なんだね。それで? どうやら燐も目的みたいだ」
「剣をどけ!」
「何故燐を?」
「我々は、綸様も次の皇帝として認めるわけにはいかない!」
「……ああ、確か、燐は本当は灯央様ではなく庚様の子だっていう話だったかな」
詩紀は剣を鞘に収めた。節里はその隙を狙って今度は自分が、と思ったがすぐに詩紀の周りを烟梓の仲間が囲ったので諦めた。
詩紀はため息をついて傍にいる男に言う。
「節里一派は全員捕らえろ」
俺は庚と共に無言で馬を走らせていた。
煙の立ち上るその場所へはもうすぐ到着する。
おそらくそこには革命軍がいるのだろう。初めに上がっていたのろしには見覚えがあった。詩紀のものだ。詩紀が引き連れてきたはずだ。あいつが黄凱を紅雪軍が攻めるこの好機を逃すはずがない。
火をつけたのは不可解だけれど、それは何か事故でもあったのだろうか。
不可解といえば庚の行動の方が不可解だ。
宮殿が攻められているのだという考えぐらい頭に過ったはずなのに、庚は自分以外全ての人間を戦場に置いて1人宮殿に戻ろうとした。
敵ばかりいるかもしれない場所へ1人で、一瞬たりとも迷うことなく。
まさか……!
俺は馬を止めた。不審に思って庚も止まる。
「何をしている?」
「死ぬ気ですか、叔父上」
「…………行くぞ。急ぐんだ」
やはり死ぬ気なんだ。
そうは思っても再び馬を走らせた。
死なせはしない。俺が詩紀と話をする。そうすれば庚の必要性を詩紀は分かってくれる。
そうだ、これでいいんだ。
節里一派は詩紀たち烟梓の者の手によって捕らえられた。
「離せ! 貴様ら裏切る気か!」
節理が叫ぶ。詩紀は冷ややかに答えた。
「そう取ってもらって構わないよ。人数が必要だから手を組んではみたけど、やっぱり邪魔だったみたいだ」
「我々が貴様ら卑しい者たちとわざわざ与してやったというのに!」
詩紀はため息を吐く。
「この状況を見てもそう言える? 俺たちの方が明らかに数が少ないのに、こうしてあんたたちの仲間が捕まっていく様を見ても。組んであげたのは俺たちの方。あんたたちが翏を象徴としようとしたからだ。仲間の妹君を、負け戦の将になんてさせられないからね」
「翏様!」
節里は今度は翏に視線を変えた。
「この者たちは犯罪者! 罪を犯した卑しい者! 烟梓の人間たちのことなど信用してはいけません! 現にこうして彼らは我々を裏切っている! 翏様お助け下さい! 我々こそ貴女の真の仲間!」
翏は首を振った。
「私は……今この場にいる人たちが皆、会ったばかりの人たちです。信用できるか、信用できないか、人の言葉で判断することなんてできません。でもただ1つ私が心から信じているものがあります。それはお兄様です。私はお兄様を信じています」
「はっそんなの……綸様が烟梓にいたことだってそれはこいつらの虚言かも――」
「違います! 私は確かにお会いしました! あの方がお兄様です。昔から変わらない、優しい目をした人でした。お兄様が本当は叔父上の子であるなど関係ありません。私が信じる方です。その仲間である詩紀さんや愬さんを私は信じたいのです。確かに貴方たちも信じていました。しかし貴方たちの目的の中は、お兄様を死なせることもあるのでしょう……?」
その時、近づく蹄の音が聞こえた。
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